護るために出来ること。
ブログの間にようこそ、支配人の聖吾と申します。
以後、お見知りおきを。
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今日の私は壊れてるので、流して頂けると幸いです。
『護るために』
それは誰かだったり、目に見えないものだったり………
自分自身の『何か』なのです。
私の場合は『信念』。
何者にも冒されない、自分自身の確立。
その中の正義感という感情が、心に波を生み、それを抑える為に肉体を傷付ける。
怒りを纏った拳は痛みと共に家の柱を揺らす力もなく、ただただ自分を傷付けるだけ……
その空虚は何も生まず、誰に理解されることもなし。
されど怒りは腹の内からマグマのように猛り狂う。
時には人の為に。
時には存在しないものの為に。
そこに自分はいらない。
何故なら、全ては己自身の為に繋がるからだ。
‐聖吾‐