君の涙は僕に似ている

今日はちょっと重い話をします。

僕は人付き合いが凄く下手で、普通に人と話すのにも心中では緊張の糸が張っています。
こんな私にも、親友と呼べる友人がいます。
彼等には気兼ねすることもなく話せ、一緒にいるだけで心休まります。
……ですが、そんな彼等だからこそ、私の本心の悩みや苦痛を語ることが出来ません。
以前少しだけ話しましたが、真剣な答えは返って来ませんでした。
彼等にとっては真剣だっかもしれませんが、私が望んだ答えは返って来ませんでした。

例え完全な答えが返ってこなくとも、個人として腹を割って話をしていた私にとっては落胆が残りました。
その場の雰囲気が悪くなったのもあって、それ以来そんな話はしていません。

人間としてまだまだ子供な僕は、自分のストレスを上手く吐き出す方法を知りません。
親にもこういった自分をぶつけるような話はしません。

親はあくまで親であり、対等ではないのです。
親身になって答えてくれるでしょうが、それでは意味がありません。

環境なのか、性格なのか、
私は、人格とまでは言いませんが、己が認知するもう一人の自分がいます。
それはきっと誰にでもあるでしょう。
 
暴力や悪意を司るもの、
自分の良心を司るもの、
それらは全て自分です。

ただ、私達が生きる今の世の中では、普段は抑えている筈です。
社会という世の中に適応していく為に。

でも、それらの『本当の自分』は、抑えているだけで、心の奥底にあります。
それが『個人』なのですから。

私はいわば社会の外れ者です。
この歳にもなって未だに社会に適応してないのですから。
(ちなみに今年でハタチ)

いずれ、私も社会に適応していくでしょう。
でも、だからこそ、私の信じる親しい友には個人として付き合いたい。
私はそう思っています。

でも、今日までその想いは届く事なく、
私へのストレスという精神へのダメージは溜まるばかり……

潮時なのだと、彼等は親友足り得なかったと、
……そう思えればどれだけ幸せなことか。

私はよく彼等の集まりに誘ってもらえない事があります。
それだけでも、私が彼等にとってたいした友達でない証明かもしれません。
その報を聞く度に私は胸が裂ける思いなのも、彼等は知らないでしょう。


私は今日、自分の事で随分と久方ぶりに泣きました。
私の今の辛さや考え、気持ちをとあるネットの友人と語り合ったのです。
彼は僕と似たところがあり、全く正反対な人物でもあります。

そうやって彼に自分の個人をぶつける事で、感情が溢れたみたいです。
次から次へと涙が溢れました。
泣いたんです、恐らくは自分の為に。
辛いことを全て洗い流すように……



人の涙というのは、人の心そのものを表わすのかもしれません。
今日の題名はその考えそのもの。


『僕』という個人の涙は、『私自身』なのだ……と

最後に、
私事ですが、泣いて気付いた事があります。

幼い頃、心のどこかに封じ込めた本当の自分がいると。
 
それは悪意か、
はたまた良心か、
それとも理性なのか、

その最後の自分を知ると、私は『僕』になれるような気がします。


そして、最後まで読んで頂けた方に御礼申し上げます。
私の個人を知ってもらった事に感謝を。

それではさようなら、
……今宵も良い夢を……